イザヤ62章6,7節
イエス様がこれら二つの例話を話されたとき、イザヤ書62:6,7のみことばを思い起こされていたことと思います。「王を休ませてはならない。」(新改訳2017) 真夜中に友達が急に来たのでもてなし用のパンがいると言って迷惑千万、戸を叩き続けた男の話。悪名高い裁判官にもひるまずに嘆願し続け、とうとう裁きをつけてもらった寡の話。共通点はシツコサでした。祈りとは嘆願であることを主は教えているのです。三分間しか待てない現代に、あくまで急がないお方に時間をかけて嘆願する祈りをしているでしょうか。神様は私たちの必要、願い、夢とかかわりをもって、交わりを持ちたちと願われているというのです。私たちは祈り方を変える必要がありそうです。