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「イエス様により頼む歩み」

詩篇27:1‐3

 

霊的な後退は逆境の中ではなく、むしろ物事がうまくいっているときに生じます。

古代の王さまダビデは、王としての地位も確立し、その安泰した暮らしに次第におごりが見え始めたのか、最初の頃のような目に見えない神に信頼する謙虚さを忘れ始めたのかもしれません。

人の心に、おごりや怠慢が入り込むと、不安や恐れ、焦点の定まらない生活に堕することがあります。

目に見えない神、主に信頼して歩んでいるでしょうか。

出エジプト記に書かれてある新生イスラエルは40年の荒野での経験から、約束の地に入る訓練を受けました。のどが渇けば岩から清水が、お腹が空けば日ごとのマナで満たしました。

それは、日々、こころの中心に主を据えるための訓練でした。

 

イエス様も多忙な務めの後、しばしば一人で祈られたことが新約聖書に書かれてあります。

ものごとが終わった後の感謝と反省は、一切は主のお力によるものであるということを表明する信仰の表われです。生活の中でうまくやれたと思えたことや、逆に肩を落とすような出来事に、私たちはいつの間にか自分の力でなんでもやれたのだ、そうなるのは当然だとするような高慢さに気を付けて、

一つ一つのことに主のお助けや、お力添えがあったことを認めて、感謝して、主を褒めたたえて、主に栄光をお返ししましょう。