昨年はおひとりひとりにとってどのような年だったでしょうか。もし神さまの御心に従うことを心に決めたのなら、私たちの生活の隅々に神さまの御心がなるように願い求めなければなりません。主の油注ぎは期待と共にあります。それは熱意とも言えます。熱意が私たちの中にあるでしょうか。ではなぜ熱意がないのでしょうか。熱意と願望は自分を明け渡した人に与えられるものだからです。撒いても撒いても誰も答えてくれない。悲しくなるそれが器だと思います。詩篇126:5.「あなたの口を大きく開けよ」と主は言われます。Tさんは亡くなった身内を救いに導けなかったことを悔やみました。聖なる願望です。私たちにそれがあるでしょうか。